早良ニュータウン・地域の歴史
早良ニュータウンから北を仰げば、荒平山(標高396m)が見える。荒平山の山頂には平坦な場所があり、かつて案楽平城(荒平城)の本丸があった。現在も堀切、石垣、土塁などが残り、本丸跡には安楽平城跡の碑が建っている。案楽平城は豊後の戦国大名大友氏の配下にあった小田部民部大輔鎮通が、天文22年~天正7年(1553~1579)の間、居城とした。1579年(天正7年)、肥前の龍造寺隆信に攻められ落城した。龍造寺隆信の部隊の一つ執行越前種兼の部隊が安楽平城(荒平城)を攻めるときに荒平山を望む丘の上に陣馬を立てた所で、これよりこの丘は馬立山と言われている。 この馬立山の東側(現在、福岡子どもの家が建っている場所)にはかつて温泉があり馬立山温泉と言われていた。温度が低くなって馬立山温泉は無くなったが、現在も子どもの家ではこの温湯を入浴に利用している。 馬立山は、1977年(昭和52年)に住宅地として造成が始まり1981年(昭和56年)に宅地となったがしばらくそのままになっていた。1989年(平成元年)戸建て住宅の建築が始まり、早良ニュータウンが誕生した。早良ニュータウン内には、馬立山のなごりを感じる3つの公園(馬立山南公園、馬立山北公園、馬立山公園)がある。早良ニュータウンの老人会は馬立会と名付けられている。